一時期よく耳にしたドラッカー。彼の自伝として読まれることもあるのだそう。残念ながら、私はドラッカーのことを知りません。ですので、全く色眼鏡なしに、短編小説として楽しめました。
しょっぱなからガツンとした人が登場します。本を全く読まない。間抜けと評判になる人。しかし、そうではないです。経済学者を言い負かす。いつ発砲がはじまるのかわからず、誰もが戸締りをして引きこもっている中、「おばあちゃん」は外をウロウロしたのだそう。私の観測範囲でなんですけれども、男というのは理屈でこうすればいいといってても、それが奥さんに全く通用しないことがあります。現実の生活を整えているのは奥さん。だから、奥さんには頭が上がらない。(もちろん、今の時代はまた違うのかもしれません。一例の話です。)その人の前では屁理屈になってしまわざるを得ない。さまざまな知識を蓄えるのは大切だが、「おばあちゃん」は知識はないが知恵がある人ということで描かれています。人を動かせる人、というべきでしょうか。
一人ひとりの人間、それぞれの信条、信念、気持ちを忖度しないことは、ガス室建設の第一歩となる。p24
それぞれの人々を思いやりなさい、とはよく言われることですけれども、この本で描写された人が述べた言葉として、迫ってくるものがあります。この人すごい…と思わせるエピーソードのあとに、教訓を持ってくるからでしょうか。
ヘンリー・ベルンハイム、本書でヘンリーおじさんと呼ばれている人が2人目です。
「客が合理的でないと思ったら、外へ出て、外から、客の目で見せと商品を見てみることだ。客のほうが合理的だということが、すぐわかるはずだ。彼らの世界は、こちらの世界とは違うんだ」p236
必ずしも同意するわけではありませんが、どの人間もそれなりに合理的に行動しようとしているはずです。結果それが失敗になる、すなわち不合理になってしまう行動をすることもありますが。そういうわけで、なるほど、とは思うところがあります。
アメリカでは不況があると、人々が助け合おうとする、とのことが書かれていました。たとえば、ドラッカーがどこかそのへんでも野宿しようとすると泊まる場所を提供してくれたり、交渉してオフィスを用意してくれたりなどです。仕事ができる人を探している、とある人から聞くと、知り合いに聞いてみる、など。2011年に日本で大きな地震が起きました。そのとき、Twitterでは人を助ける情報だとか、困っているといった情報を共有しようという動きが見られました。アメリカでも、不況のときにこれと似たような動き、人々が協力する動きがあったのだと察せられます。
イメージしやすい、とてもわかりやすい文章でした。物を書く才能はあるが、研究才能があるかはわからないとドラッカーは本書に書いていますが、その物書きの才能を十分に見て取ることができます。
この本もkindle版が出ています。うれしいですね。
“[書評]傍観者の時代(P・F・ドラッカー): 極東ブログ” http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/12/pf-5b22.html