ブログは敷居が高い。

その理由は、長文になるからじゃないでしょうか。短く区切られているツイッターは、今思えばよくできているなと。長い文章であればあるほど、整合性が気になったり、いいたいことがまとまなかったりするんですよね。結果、うんうん考えてしまう。

他の理由は、読者が見えないというのがあるかもしれません。ツイッターだと、読む人がみえるんですよね。野球好きで集まったグループでは野球の話題が出しやすいですし、パソコン好きで集まれば自然とそれに関連した話題を出すように。こういう話題に関心なる人がフォローしているからこういう話題を話そうっていうのが、ツイッターは見えやすいんですよね。

「10代のうちにやっておくべき10のこと?」

「10代のうちにやっておくべき10のこと」って、何かあります??
「◯◯したほうがいいよ」「30代のうちにすべきこと」「10代までにやっておきべきだったこと」という感じの、「〜〜すべき」というのを見かけることがあります。私が気をつけていることは、『この発言をした人は、こういう考えにいたるまで、どういう経験をしたか』です。

何らかの事実と、それをどう見たか(感想)、の2つに文章をわけることができます。(「非論理的な人のための論理的な文章の書き方入門」を参考にしました)そこで、「◯◯したほうがよかった」と発言したなら、それまでに何らかの経験が元にその発言がなされたわけです。それは何か、ということに気を配ります。これで「その人固有の経験か」それとも「自分にも当てはまるか」が少し見えてくるのではないでしょうか。

どの人間でも、何らかの価値観に縛られますよね。

悩みとサブリミナル

悩むことは誰でもありますよね。
「サブリミナル・インパクト」を読んでいて、ハッとすることがありました。ななめ読みなので、誤解してるところや本とはズレているところがあるとおもいます。読後、頭に残っているのは次の3つです。

・悩み、行動は自分の無意識がよく知っている。
・答えをすでに無意識で知っている。
・自分のことは自分がよく知っているとは限らない。

僕が小学校のころのこと。「神様のような目に見えない絶対的な権力者によって、自分は生まれた時から操られているのではないかと不安になることがある」と友だちが言った記憶があります。布団に眠れなかった時に深く考えてしまってそうなるんだとか。本を読んでいて、これは無意識のことじゃないか?、と思いました。

「小さい子どもが好きな異性に対してちょっかいを出す」のは、本当に相手のことが好きだからこの行為をしているのでしょうか。もしかして、内心「嫌い」だと思ってないのかな。また、「◯◯をするのが好き」「将来は◯◯がしたい」と言っていたはずが、だんだん行動が変わってきたりします。たとえ自分の頭ではまだ好きなつもりでも。これも無意識なのでしょうか。

周りの人が自分の気持を完全に知ることはないかもしれませんが、行動は見ることができます。そこから、周りの人は「この人はこう考えている」と推測する。人はやることと言葉が一致しないことがあります。その時に私は言葉でなく行動で人を判断するようにします。裏返せば、人からどう見えているのか。

この本、けっこうインパクトある本でした。

“[書評]サブリミナル・インパクト 情動と潜在認知の現代(下條信輔): 極東ブログ” http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/06/post-b7f9.html

こたつ

衣替えは◯月◯日から、とかつては決まっていたのでしょうか。幸田文の『きもの』ではそう伺えます。制服を着ていた中高校生のころは、移行期間付きで衣替えがあったように思います。その時期では、暑いような、寒いような、中途半端で難しい季節です。

こたつも同じ。いつ出して、いつ仕舞うのか。出す日は決めているのですが、仕舞う日はそうもいきません。なよなよしてもしょうがないので、日曜日に思い切ってしまいました。少し暖かさを感じるようになりましたし。でも、もうちょっと出しても良かったかなと悩むものですよね。

こういうとき参考にするのは、旧暦と一般的に言われることと親の言い伝えと神事など。いつごろから寒くなるのか、暑くなるのか。季節の変化を知るのに参考になると思います。

面倒くさい恋愛

自由放任主義なもとで育てられたので、宿題も夏休みギリギリになっていたと母は言います。随分と適当なもので(^^;「宿題するのめんどくさいなー」と思ったのはその小学校のころです。「面倒くさい」を使った記憶を遡ると、そこに行き着きます。
しかし、最近、こういう使い方もあるんだと知りました。「女は面倒くさい」「めんどくさい奴だ」これはどういう意味だろう。どういう気持のときに使われるんだろう。疑問に思いました。その用例を目にしたのが、こちらでも。というわけで興味を惹かれたのが綿矢りささんの「勝手にふるえてろ」です。

爽やかな感じで、スラスラと読み流せたいい作品ですね。「蹴りたい背中」は数ページで読むのをやめてて、今回も期待はあまりありませんでした。それでも、読んでよかったですね。何らかの形で、人は失敗することがあります。中でも、高校時代の恋愛はよく聞く。告白した、振られた、ということを聞くのではなくて、「好きだったけど何もしなかった」というもの。記憶は曖昧です。何もしないまま、時が経つと、内面でそれがより綺麗な記憶として残ってしまうのでしょうか。

そして、「面倒くさい」について。私が面倒くさいと思わないのは、好き嫌いで判別しているからかもしれません。「◯◯して」と言われて「めんどくさい…」ではなく「嫌だ、嫌い」と心の中では反応しています。夏目友人帳という作品の中で「お前はめんどくさい奴だ」ということが何回か聞かれます。ここでは、何かもっと別のニュアンスがあるような気がします。そう、愛情というか、好意の何かを含んだ…。

 

“綿矢りさ「勝手にふるえてろ」の処女っぷりが凄い” http://masuda.livedoor.biz/archives/51483041.html

新しい物事の導入

僕がお話させていただいいただいたコンピュータが得意な人やプログラマの人々は、新しいものや何かに積極的ですね。コンピュータ関連はどんどん新しい技術が出てきますし、そういう意味では当然なのかもしれません。
しかし、新しい物事の導入に否定的な態度をとることが多い人もいます。それは悪いことではないかもしれません。いいと思ってやってみたことでも、見えていなかった問題が起こってしまったり。技術をある程度知っている人なら問題が起こっていても平然と対処できても、全くわからない人がみたら「何が起こっているのかわからないからやめておこう」となる気持ちは十分理解できます。
そして、新しい物事を導入したりするのは難しい。それまでやっていた古い物事を否定してしまうことになるから。

新しい物事を取り入れるのは難しいって、マキャベリも言ってましたよね。

Common ground

メディアの影響なのか、耳に残りやすい変わった言葉を聞くことがあります。草食系男子、コミュニケーション能力など。また、インターネット上でも使われる独特の言葉、ネットスラングというものがあります。例えばリア充。これらは本来、一定の場所・空気の中で使われていて、それなりの文脈がありました。しかし、一般に浸透すればするほど、人々が誰でも使うようになるほど、その文脈は失われ、やや言葉の意味が変容してしまったり、本来の意味が失われてしまうことがあるのではないでしょうか。

リア充、オタクというのも、私が知った頃とは変わってきたように思います。(記憶違いなのかもしれませんが。)オタクというと、今はアニメやマンガに興味あったり、プログラミングをしているだけでそう扱われるようです。リア充は、ほとんど恋人がいるということを指しているのに近いニュアンスで指していることばしばしばなように思います。もともと、定義付けして使われているわけではないので、曖昧になっていくのも仕方ないことですが。

「ぼっち」といいますが、本当に一人ぼっちであるというよりは、誰でも感じるような孤独感を感じるときに使われているように思います。

 

”コラム後記、「草食系男子」” http://www.tito.e.u-tokyo.ac.jp/Mainichi_Keizaikansoku_20110120_kouki.pdf
“ネットスラングの一覧とは (ネットスラングノイチランとは) [単語記事] – ニコニコ大百科” http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

ライフハックとアウトプット

「〜すべき」という言葉はよく聞く。ライフハックってやつ。「◯◯にすぐ役立つ!」とか。なるほどなー、能力が向上するとか、効率が上がることはいいこと。私もそうなりたい。
でも、ライフハックはなかなか役立つことはない。「わずかな努力で」または「すぐに」役立つことはあんまりいいことなくて、結局は遠回りして地道にやる方法を選ぶほうがいいのかも。僕が実行できてないせいですかね。あんまりライフハックだとか、役立つことはないのかなーとも思うことがありました。
でも、その中で、これはいいなーと思ったのは、アウトプットをすることですね。例えば、ブログを書くことです。アルファブロガーの方だとか、いろいろいいなーと思うエントリなどを目にして、その後自分で何かを書いてみるというのは重要だと感じています。自分がどう思ったかを目で見えるようにすると、その読んだエントリと比較してみて、自分の思考のダメさ加減に気付かされます。頭の中では、自分はとてもよくわかっている、これは理解できたと思っていることでも、実際に文章にしてみると「あれれ」となることがしばしば。他にも、かつては人に勉強を教えていました。同級生に説明すると、自分の中で思考を整理されていくし、記憶も定着していくので。

アウトプットのこと以外にも、こちらに書かれているエントリはとてもいいですね。
“20歳のときに知っておきたかったこと” http://j.ktamura.com/archives/16889

挫折と夏目漱石

たいていの人間というのは、挫折することなく、華やかな経歴を歩むものという印象でした。失敗するとしても、些細なもの。きっとそれは間違いで、夢に対してみんなそれなりに挫折や失敗をしているのかもしれません。失敗はしてないけど身の丈に合わせたか、それとも挑戦して失敗したのか。それとも表面上はそれらがよく見えないだけなのか。
年上の人たちが、それぞれの仕事についていく中で、「誰しも正社員になるのが当たり前」という幻想がありました。(今思うと何故あったのでしょうか。頭で考えれば普通なことなのですが、感覚的には理解できなかったのかもしれません。)しかし、そうはならず、望んだ方向とは違う方面に進んだり、失敗しても思うところへもう一度挑戦していたり。

夏目漱石、とは日本の高校を卒業した方なら多くの方がご存知でしょう。あのような有名な方なら…と自然と思うところなんですけれども、意外とそうではないのかな、と思いました。帝大(今の東大)を卒業しているはずで、留学もしていて、帰国後はそれなりのポジションが用意されている。にもかかわらず、新聞社専属の作家となった。(「入社の辞」において、彼は大学講師では稼ぐのが大変だ、新聞社では生活費を保証してくれるから安心だ、と述べてはいます。)
彼は意外にも落第したことがあるとか。今で言えば留年と解釈すればよいのでしょうか。あえて落第し、そこからしっかり勉強するようになったそうです。彼でもそんなことがあったのですか…

“図書カード:落第” http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card2676.html
“図書カード:私の経過した学生時代” http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card2677.html
“図書カード:入社の辞” http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card2673.html

景気回復期に、風雲児と言われた方のこと。

堀江さんが話題になりはじめたのは、球団を買収すると名乗り上げたころからだったように思います。2005年前後でしょうか。社長というとネクタイにスーツしてて、というイメージなんですけれども、堀江さんの場合は、ノーネクタイで、ジーパンをはいていらっしゃった記憶があります。これがある種の記号となって、人々は良い・悪いイメージを持つようになったのでしょう。
ええ、悪い印象を持つのはわかります。時や場所に合わせて、それ相応の格好をするものという意識は人々の前提にあるもので、その無意識の想定が崩されると不愉快な思いをすることがあります。その印象があるもとで、誤解を招くかもしれない発言がメディアに取り上げられ、ますます印象が悪くなる、という感じでしょうか。ちょっと大丈夫かなぁ、と私も当時は心配することがありました。
それでも、魅力的な人です。社会をしっかり見ている人なんでしょう。いや…もしかしたら、違う視点を持っているというのでしょうか。同じモノを見ているにしても、私はいかに座学で“しろうと”しているにすぎないのかと。ポジティブな印象を思ってしまう根本は、景気が上向いていたころだったからでしょうか。

私の記憶違いでなければなのですが、トレーダーの方がテレビで「堀江さんが出所してまた会社はじめたら、その株は面白いと思う」とおっしゃっていたように思います。(なんででしょうね、ぐぐっても正確な発言がつかめません。)今年、刑期が満期とのうわさ。もしそうならば、今年出所ということですね。今後も期待してます。

“新聞やテレビが絶対に書かない「ホリエモン」こと「堀江貴文」の真実~ロングインタビュー前編~ – GIGAZINE” http://gigazine.net/news/20090302_horiemon01/

“就職はベンチャー?大企業?―堀江貴文 「より幸せを掴む」ための全課題17【5】:PRESIDENT Online – プレジデント” http://president.jp/articles/-/3394