面倒くさい恋愛

自由放任主義なもとで育てられたので、宿題も夏休みギリギリになっていたと母は言います。随分と適当なもので(^^;「宿題するのめんどくさいなー」と思ったのはその小学校のころです。「面倒くさい」を使った記憶を遡ると、そこに行き着きます。
しかし、最近、こういう使い方もあるんだと知りました。「女は面倒くさい」「めんどくさい奴だ」これはどういう意味だろう。どういう気持のときに使われるんだろう。疑問に思いました。その用例を目にしたのが、こちらでも。というわけで興味を惹かれたのが綿矢りささんの「勝手にふるえてろ」です。

爽やかな感じで、スラスラと読み流せたいい作品ですね。「蹴りたい背中」は数ページで読むのをやめてて、今回も期待はあまりありませんでした。それでも、読んでよかったですね。何らかの形で、人は失敗することがあります。中でも、高校時代の恋愛はよく聞く。告白した、振られた、ということを聞くのではなくて、「好きだったけど何もしなかった」というもの。記憶は曖昧です。何もしないまま、時が経つと、内面でそれがより綺麗な記憶として残ってしまうのでしょうか。

そして、「面倒くさい」について。私が面倒くさいと思わないのは、好き嫌いで判別しているからかもしれません。「◯◯して」と言われて「めんどくさい…」ではなく「嫌だ、嫌い」と心の中では反応しています。夏目友人帳という作品の中で「お前はめんどくさい奴だ」ということが何回か聞かれます。ここでは、何かもっと別のニュアンスがあるような気がします。そう、愛情というか、好意の何かを含んだ…。

 

“綿矢りさ「勝手にふるえてろ」の処女っぷりが凄い” http://masuda.livedoor.biz/archives/51483041.html

コメントを残す